s

Menu
Profile
/2003-現在/ 1996-2002 /1990-1994/ 1985-1988 /1978-1983
【居住地】

車遊びの主な活動拠点は関東周辺であるが、一緒に走るメンバー達との打ち合わせで九州や北海道へ遠征にツーリングでも行こうと言う事になれば、何の躊躇も無く出かけるであろう!
つまり、車で行ける所なら日程の調整をして、日本全国どこでも遊びに行く!

筆者の出生地は福岡県で父親の転勤地だったらしいが、本籍は京都府中京区だった。
1歳に満たない時に父が神奈川に転勤になり、その後も父親が転勤族だった為いろんな場所へ移り住んだらしい!
だが、筆者の記憶に残り始めたのは沖縄に引っ越しをした4歳頃からであり、そこには8歳まで住んでいた。
当時は沖縄がまだ日本に復帰する前だったので、通貨はドルを使っていた。 一応アメリカ在住だったのだ!
その後もさらに転勤はあったが、筆者の記憶の中で一番思い出が深い場所は沖縄である。

現在は神奈川県の横浜市の某所に住居を構えたが、ガレージの中が筆者の部屋に指定されたように家庭内ではなっている。

 


【仕事】

大学卒業後、社員数が約45,000人程いる某日本企業に就職する。
業種は金融機関だ。
時はまさに日本中がバブルに飲み込まれようとして行く前夜だった!

社会に出て、少ないながらも自分の自由になる給料を貰い、アフターファイブには同僚達と同じ会社のOLを誘って遊びに行くという毎日を繰り返していた。
安月給だが日常に特に不満も無く過ごしていた。

数年の歳月が過ぎ、同期の社員も世帯を持つようになり、チャラチャラ遊びまわっている日々から、徐々に企業戦士として自覚し始めるようになる。
しかし、企業戦士と言う呼び名はバブル期のマスメディアが作り上げていた偶像に過ぎなかったのでは!?…と筆者は今は思っている。

社員は良い仕事、すなわち会社に利益をもたらす仕事を行い、朝早くから夜遅くまで昼夜を通し仕事をする。
たまの休みも仕事の延長で接待ゴルフなどに行く。家族もそれが普通の生活のようにあたりまえになってしまう。
企業戦士、呼び方を変えれば猛烈社員とも言うようだ!
だが、日本が高度成長を遂げ先進国の仲間入りが出来るようになった背景には、かつて、この企業戦士だった人達の存在を忘れてはいけない。

良い仕事をすれば給料が増え出世が出来ると言う社会の仕組みの中に染まり、ある程度出世したら、後は若い後輩社員が頑張ってくれて、自分は問題なく定年を迎え充分な退職金と年金暮らしで余生を過ごせる。
この時、これが筆者が感じていたサラリーマン社会の構図である。
当時、筆者も「企業戦士」の仲間入りをし、出世競争に参戦して地位と収入を得たいと思うようになって行った。
しかし、これだけ人数のいる企業だと出世競争には個人の能力以外に派閥や人間関係、はたまた超有名大学卒の学歴、等々いろんな要素がそこには関係してくるように思う。

仲の良かった同期や友人間にも役職の違いが徐々に現れるようになり、そこには上司と部下という関係まで存在するようになる。
同期会なるものが入社後5〜6年くらいは存在していたが、それも自然消滅していく。
バブル経済の中にあった日本企業の構造でもある。

日本企業に嫌気をさしていた筆者は結婚を機に外資系金融機関の門をたたく!
一応それなりのポジションをもらうのが条件で転職に踏み切った。

バブル経済が収束し始め、日本企業が病に侵され始めるのを横目にバブル期以降に日本に進出して来た外資はとても元気だ!
この外資企業で、日本企業の中にいたら経験できない多くの事を筆者は学ぶ事が出来た!
まさに、男も女も人種も関係無く、専門分野に特化して能力のある者のみが階段を上がっていける。
だが、常に勝ち続けなければならず、立ち止まったら自分の代わりによその企業から誰かが送り込まれて来る。
自分の今座っている椅子に明日も座れる保証はどこにも無い。
筆者が勤めたこの外資では、ワンストライク・アウトと言う言葉を誰もが社風としてとらえていた様に思う。

この外資で数年間勤めていたが、ある日、別の外資から呼び声がかかった!
この外資系企業も2年勤めていたが、会社のホリシーがその業界で1位か2位にならないと撤退すると言うスタンスをとっており、スタンス通り見事撤退してしまった!!

その後は、ファンド会社が買収した企業へ助っ人として送り込まれるなど2社ほどに勤務したが、最後の1社に勤めた時に、この業種なら自分でも会社を興せると考え、部下数人と共に起業することとなった!

現在は、何とか順調に業績を伸ばしつつ、起業した会社も無事に8年目をむかえることが出来た!

もともと筆者は、50歳になるまでには会社を辞めて自分で事業(事業なんてカッコイイ物では無く何とか食べていければ良い位のものだ)をしたいと思っていたのだが、予定は数年遅れたが今は他人の会社の為につくすのではなく、自分会社の為に頑張って働いている。



【趣味】

筆者の趣味は多彩だと自分では思っている。しかし、なが続きはしない。
俗に言う、〔熱し易くて冷め易い〕性格だ!

子供の頃は物を集めるのが趣味だった。
牛乳のフタから始まり、マッチ箱・虫の標本(自分で作る)・メンコ・ビー玉・切手・古銭・ミニカー等々…。 大人になってからは、クリスタル製の置物まで集め出してしまった。 写真のクリスタルはほんの一部である!

中には、趣味になると思ってチャレンジしたが、嫌いになったものもある。
スカイダイビングは1度だけチャレンジした。
その時、筆者はあまり高い所が好きでは無い事を自己発見して、もうヤメタ!

16歳の頃からやっているのが、スキューバーダイビングだ。
これには結構ハマッた!
水中カメラやビデオ機材をそろえて海外まで行って撮影を楽しんだ!
機材にも凝りだし、最新型のレギュレター等に金をかけ過ぎて貧乏に拍車をかける事になってしまった!
それでも一応、資格はマスタースキューバーダイバーまで取った。

その他、その時々に応じて何でも興味がわいてしまう!
今でも2年に1回は何かにハマッテいる!!
でも、一生を通しての趣味と言われれば、やはり車遊び以外には考えられない。

しかし、最近、目の衰えを感じる今日この頃だ!
ブレーキとアクセルを間違える様な兆候が少しでもあれば、即、車はおりるつもりだ!

後、何年、趣味としての車遊びができるのだろうか!?



Back


Copyright(c) Benz Cafe 2003
All Rights Reserved.