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【1994年 M−Benz R129 600SL】
私が初めてR129SLを見たのは、渋谷の道玄坂だった。1991年の初夏だったように記憶している。 二人目の子供が誕生した年だ。
ピカピカに磨き上げられたブリリアントシルバーのボディーに、ヨダレを垂らしながら目を丸くしている自分がそこに写っていた!
その時に「なんて美しい車なんだ!」と素直に感動したのを今でも覚えている。

それから3年、ついに念願かなってSLを手に入れる事が出来た!
もちろん新車など買える訳がなく中古車だったが、この当時のSLの人気は高く中古の値段的なメリットはそんなに感じなかった。
特に金持ちになっていた訳でもなく、今思えば良く買えたな!と感心してしまう。 まぁ、俗に言う「一点豪華主義」ってやつか!

当初、V8の500か、V12の600を購入するか迷っていた。
中古車屋の店員には、V12はトラブルも多く維持が大変だと散々脅かされたが、結局、前述のカリブ事件の事が忘れられず、ひたすら飲みかけの缶コーヒーを投げつける日がいつか来るのを信じながら、V12の購入に踏み切った。

SLは速い! とんでもなく速い! しかし、国産チューンドカーはもっと速い!

ある日、国産チューンドカーが集まっている某クラブの存在を知る。
250キロで湾岸を巡行するそうである! SLでもその位の速度は問題なく出す事が出来るが、巡行となるとそうはいかない。
性格上、巡行が本当であるのか真実を確めずにはいられない! すぐにそのクラブとアクセスをとり、かるく出稽古に行くつもりで一緒に走ってみた。
時間は深夜25時を少しまわった頃であった。

結果は、巡行が事実である事を身をもって体験してしまった! 

相手は足回りから何から、全て作り上げられている国産チューンドカー達だ! こっちは車重も数百キロ重くハンディーもある。
しかし、それは言い訳にしかならない。 湾岸線の横浜から習志野までの区間をあの速度で巡行されると、こっちは集中力を維持出来ない。
それはサーキットで走るより余分な集中力が必要となる。
かるい出稽古のつもりが湾岸線の途中から無事に生きて帰る事に計画を変更した。
習志野に着く頃には完全に戦意を喪失しており、しまいには、ノーマルのステージアにもブッチぎられてしまった!

明け方に自宅ガレージにたどり着いた時には生きて帰れた事を神に感謝したのを今も鮮明に覚えている。

その日から我SL(別名:T号)の方向性が走り仕様へと変貌して行く事になる。
SLは本来オープンカーであるがオープンにする事もなくなってしまった!

単純に走りを重視するなら軽量の外車か或いは国産車であればGTRをチューンした方がよっぽど速く走れるが、それをSLで行う事に意味がある。
そこには他人には理解しがたい拘りがあるのだ!

現在までにBenzに抜かれた事はなかったが、T号は4速ATの為、5速を持っているBenzには最高速で抜かれてしまう。

1992年型のT号は休むことなく進化を続けていかなければならない!
最近の新型Benzは確かに速い。しかし、10年以上前に作られたアナログT号でデジタル新型車をルームミラーから消し去る事が出来るように現在も進化の途中なのだ!

このT号を手放す事は一生無いと思うが、でも、いつかはゆっくり休ませてやりたい。




【1991年 スプリンター・カリブ】
子供が2歳になり二人目が生まれ、妻も買い物車が欲しいと言う事だった為、スプリンター・カリブを購入した。 サンダーバードとカリブの2台を所有する事になった。

何故カリブかと言うと、乗用車感覚で乗れる4駆が欲しかったからだ。それと何よりも妻が気に入っていたと言うのが結論だった。

カリブで家族を乗せてイチゴ狩りに行った帰りの出来事だった。

高速道路に乗り本線へ合流して行く。
そのまま加速して追越し車線に出た時の事だった。

後ろからW140 S600L V12が追越し車線を猛スピードでぶっ飛んで来て、パッシングの雨を降らせてきた! 
カリブが追越し車線に出た事により、ブレーキを踏まなければならなかったのであろう。
怒り狂っている様だ! 無視して何事も無かった用に走行車線にカリブを移して走りつづけたが、カリブに追越し車線から平行して並びかけて走り、窓を開けて何かワメキ散らしている。  かなり危険な奴だ!

家族を乗せているために逃げようと全開を試みるが、悲しいかな!4気筒1600ccのカリブでは12気筒6000ccをチギレル訳も無く、相手に俄然ヤル気を起こさせただけだった!

前に出られて急ブレーキを踏まれたり、ジグザグ運転をしながら幅寄せされたり、5〜6分付きまとわれた!
最後には、W140の窓を開けて火のついたタバコをカリブのフロントウインドーに投げつけて、消えていった!

私は、この日を境にW140が大嫌いになった!
そして、いつか6000ccのV12を購入して、あの奴を見つけ出して飲みかけの缶コーヒーを投げつけてやろうと決心した!

W140 V12 S600L ブルブラ  ナンバーはヤクザだ!
ふざけやがって、何がヤクザだ! 本物のヤクザはナンバーにヤクザは使わないものだ!

今でもブルブラのW140を見ると奴を思い出して、飲みかけの缶コーヒーを思わず握り締めてしまう!




【1990年 フォード・サンダーバードSC】 
私にとって初めての外車がこのサンダーバード・スーパークーペだ。
そして、初めてのAT車だ。

サンダーバードは発売以来、この年、1990年で35周年を迎えた。
全長は5090mmもあり車幅は1845mmの堂々たる物で、「やはりアメ車はデカイなぁ」と感じさせる車だった。
2アクーペではあるが、後部座席も充分過ぎるゆとりがあり、下手な国産4ドアより後ろは広い!

この年に子供が生まれたので、何より気に入っていたのが、後部の座席シートが大きく、1歳に満たない子供を妻がゆったり座りながらあやす事が出来るスペースがある事だった。

V6・OHV・インタークーラー付スーパーチャージャー・3787cc・210ps・43.5kgmはアメ車らしくトルクを重視した走りになっている。
今回も新車での購入になるので、前車のように弄繰り回して白煙を吐く事が無い様にしようと思い、「ノーマルでいくぞ」と硬く決心した。

だが、その決心も長くは続かなかった。

ある日、高速の追い越し車線を走っていたら、後ろからM-Benzがカッ飛んで来た!
サンダーバードの後ろにドケと言わんばかりに張りつかれてしまった!
「ベンツごときにナメられてたまるか!」ってな訳で、床が抜けるほどアクセルを踏み込んだが。 が、しかし、★00キロを超えた段階でいとも簡単に走行車線から抜かれてしまった。
いや、あれはブッチギられた!と言う表現がピッタリだった! 相手はW124 E500だった。

このサンダーバードは、スーパーチャージャー付きで、トルクもそれなりにあったので★00キロまでは結構速かったのだが、確かにその上の速度域ではモタツキを感じてはいた。
だが、あそこまでアッサリト抜かれてしまうと「ノーマル車だから…」「アメ車だから…」と自分自身に言い訳をしていたのを記憶している。

早速、アメ車雑誌を買いあさり、チューニングの準備をしたが、ほとんどチューニングの情報が無い!
チューニングのベース車両として載っているのは、コルベットばかりでサンダーバードなど出ていない!
それでも調べる事数ヶ月、一軒だけCPチップ交換とマフラー交換でパワーが3割ほどアップすると、うたっているショップを見つけ出した。
すぐにチップとマフラーを取り寄せて交換してみた。
確かに加速性能は良くなっていたが、★00キロを超えたあたりではノーマルと変わらない様だった。

足回りについては、一応電子制御になっていて、スポーツモードとノーマルモードがあり、減衰力を任意で変えられる仕組みになっていた。
これも私のお気に入りの一つであったが、東名下りの御殿場付近のコーナーで国産シルビアにアウトからからかわれる様にして抜かれてしまった!

流石にこれにはショックを隠せなかった…。


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