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Profile /2003-現在/ 1996-2002 / 1990-1994 / 1985-1988 / 1978-1983 |
【1988年 スープラ 3.0GTリミテッド】 私にとっては2台目の新車である。 そして始めての3ナンバー車だった。 グレードは3000 DOHC Turboで、この年にワイドボディーの採用・専用色としてホワイトパールマイカをオプションとして追加設定があった。 そしてなによりも5MTの新設定がこの車を購入する決心に至ったのだ。 スペックは、直6・DOHC7M−GTEU・2954cc・240ps・35kgmで、当時の7M系エンジンは、チューニングのベースエンジンとしても定評があったものだ。 貧乏で吉野家の牛丼を食べるのにも、1月に一回位は自分への褒美として、「今日は生卵を奢っちゃおうかな」と考えながら過ごして来た日々を思い出しながら、「ついに俺もここまで来たかぁ〜♪」と感じ入ってしまったものだが、何の事は無い、36回払いローンで購入しただけだった。 まだまだ貧しい日々は続いている。 だが、そんな貧乏暮らしをしながらでも、少しずつお金をためながらチューニングに資金を回した。 給排気系・点火系・EVC・追加インジェクション・各種メーター・足回りetc このスープラは当時では高級感もあり、いろんな場所で大活躍をしたものだ! しかし、この愛車スープラとも別れの時期は刻一刻と近付きつつあった。 ブーストコントローラーをMaxにしてアクセルをメイッパイ床が抜けるほど踏み込んだ! しかし、ドライブの帰りに高速を下りた後、交差点で信号待ちをしているスープラのマフラーから白煙が黙々と立ち上がり始めた! エンジンは摺動部分が多く、油膜により保護されながら動いているが、年月とともにパーツは摩耗することになる。 オイル下がりは、ヘッドからオイルが下がって燃焼室でオイルが燃え、マフラーから白煙を吐く現象で通常はこっちのほうが先に起こる。 一方、オイル上がりは、シリンダー、ピストンリング、ピストン いずれかが摩耗、あるいはリングの張力が減少してオイルがクランク室から燃焼室にシリンダー壁をつたって上がり、燃焼室で燃えマフラーから白煙を吐く現象である。 売るなら今しかない。運がよければ、煙を吐かないで査定出来るかもしれない。 |
【1986年 セリカ1800GT−TR マイナーチェンジ】 この年、初めて新古車ではあったが新車と言うものを購入する。 マイナーチェンジで大きく変わった箇所は、リトラクタブルヘッドライトの採用位だったように記憶している。以前のGT−TRはポルシェ928のようにヘッドライトが起き上がるタイプだった。 この年からFISCOや筑波サーキットへ車を持ち込みサーキットや峠・高速道路等で本格的な車遊びの開始となる。 コニー製ショック・排気系のチューン・バケットシート・ロールバー等を入れて走りの方向に振った車作りをしていった。 EVCの取り付けを行いブーストアップも考えたが、資金が無くサーキット走行代やガソリン・各種消耗品代に給料は全て消えていった。マフラー交換だけでもターボ車はパワーが簡単に上がってしまうので、この時の私にとってはマフラー交換でパワーを上げるのが精一杯の状態だった。 ある日、ショップにマフラー交換に行っている時の出来事だった。 男性の年は30歳前後だったように記憶している。 当時このソアラは日本を代表するスペシャルティーカーとして確固たる地位を築き、ハイテク満載で時代の先端をリードしていた。 値段にして、各種オプションを入れると購入時には500万以上になってしまう車をさらにチューニングで100万以上かける事が出来る人達はいったい何の商売をしているのだろう!?自分には一生かかってもそんな暮らしは出来ないだろうと思ったものだった。 ショップのオヤジはそのソアラの男性客への商品説明でニコニコ笑いながら対応している。 結局、私が当時やりたかったチューニングを全て頼んで行きやがった! 「お客さん、今日マフラー入れて変えるの?」と聞いて来た! |
【1985年 セリカ1800GT−TR】 この車は私にとって初体験が2つあった。 一つは初のエアコン搭載車だ! しかもオートエアコンだ! クーラーに比べると温度を設定すれば自動的にその温度に調整してくれる優れものである。 また、もう一つの初体験は生まれて初めてターボ車なる物に乗った。 セリカ1800GT−TRは、3T−GTE搭載・4気筒・1770cc・DOHC8バルブ・ツインプラグターボ・160ps であった。 ある日、坂道の上りで信号待ちをしていたら、BMWが助手席に女の子を乗せて隣に並んだ。何となくBMWがヤル気になっているのが雰囲気で感じられる。 今で思えば、グロスでの160psなので、現在のファミリーカーでもこの位のパワーは出している車もあると思うが、当時、私は自分のこの車より速い車は存在しないのでは無いかと思っていたくらいだった。 |