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【1988年 スープラ 3.0GTリミテッド】 

私にとっては2台目の新車である。 そして始めての3ナンバー車だった。
グレードは3000 DOHC Turboで、この年にワイドボディーの採用・専用色としてホワイトパールマイカをオプションとして追加設定があった。
そしてなによりも5MTの新設定がこの車を購入する決心に至ったのだ。

スペックは、直6・DOHC7M−GTEU・2954cc・240ps・35kgmで、当時の7M系エンジンは、チューニングのベースエンジンとしても定評があったものだ。
ソアラと同じ7M系エンジンを積んでおり、色も以前にあのショップで見たソアラと同色だ!

貧乏で吉野家の牛丼を食べるのにも、1月に一回位は自分への褒美として、「今日は生卵を奢っちゃおうかな」と考えながら過ごして来た日々を思い出しながら、「ついに俺もここまで来たかぁ〜♪」と感じ入ってしまったものだが、何の事は無い、36回払いローンで購入しただけだった。 まだまだ貧しい日々は続いている。

だが、そんな貧乏暮らしをしながらでも、少しずつお金をためながらチューニングに資金を回した。

給排気系・点火系・EVC・追加インジェクション・各種メーター・足回りetc
いろいろやってみた。パワーチェックをやってみたが、シャーシダイナモで350psは出ていた記憶がある。

このスープラは当時では高級感もあり、いろんな場所で大活躍をしたものだ!
何の活躍かは当時の良き思い出として、私の記憶の中だけに留めて置く事にする。

しかし、この愛車スープラとも別れの時期は刻一刻と近付きつつあった。
東名でドライブ中にポルシェ928にピッタリと後ろに付かれた。その時スープラの助手席には当時の私の彼女が乗っていたが誰だったかは今は思い出せない!
貧乏だったが、一応同年代の男性と同じように彼女くらいは居たのだ。
ただ、928にも助手席に彼女と思われる女性が乗っており、国産車の意地にかけて絶対に抜かれるわけにはいかなかった。いや、自分自身の意地だったように今は思う。

ブーストコントローラーをMaxにしてアクセルをメイッパイ床が抜けるほど踏み込んだ!
928も全開をしているようだが、見る見るうちにルームミラーからその姿が小さくなって行く。
そのまま走り続けること数十分、928の姿はどこにも無かった!

しかし、ドライブの帰りに高速を下りた後、交差点で信号待ちをしているスープラのマフラーから白煙が黙々と立ち上がり始めた!
暫く走っていると白煙はなくなるが、5分おきに煙が上がる。オイルが一緒に燃焼しているのだ!

エンジンは摺動部分が多く、油膜により保護されながら動いているが、年月とともにパーツは摩耗することになる。
オイル下がりとオイル上がりは 両方ともマフラーから白煙を吐くために、どちらがおこっているのか判断しにくい。

オイル下がりは、ヘッドからオイルが下がって燃焼室でオイルが燃え、マフラーから白煙を吐く現象で通常はこっちのほうが先に起こる。
オイル漏れの経路は ヘッドからバルブオイルシールを抜けてバルブの軸とバルブガイドの隙間からポートに入り燃焼室に入ってオイルが燃える。

一方、オイル上がりは、シリンダー、ピストンリング、ピストン いずれかが摩耗、あるいはリングの張力が減少してオイルがクランク室から燃焼室にシリンダー壁をつたって上がり、燃焼室で燃えマフラーから白煙を吐く現象である。
こちらが起き始めているとヘッドもO/Hしなければならない時期になっている場合が多いので フルオーバーホールとなる。

売るなら今しかない。運がよければ、煙を吐かないで査定出来るかもしれない。
結局、査定中には白煙を上げることが無く、無事に査定終了となった。
思っていた以上の値が付いてスープラともお別れの時が来た。


【1986年 セリカ1800GT−TR マイナーチェンジ】

この年、初めて新古車ではあったが新車と言うものを購入する。
マイナーチェンジで大きく変わった箇所は、リトラクタブルヘッドライトの採用位だったように記憶している。以前のGT−TRはポルシェ928のようにヘッドライトが起き上がるタイプだった。

この年からFISCOや筑波サーキットへ車を持ち込みサーキットや峠・高速道路等で本格的な車遊びの開始となる。

コニー製ショック・排気系のチューン・バケットシート・ロールバー等を入れて走りの方向に振った車作りをしていった。 EVCの取り付けを行いブーストアップも考えたが、資金が無くサーキット走行代やガソリン・各種消耗品代に給料は全て消えていった。マフラー交換だけでもターボ車はパワーが簡単に上がってしまうので、この時の私にとってはマフラー交換でパワーを上げるのが精一杯の状態だった。

ある日、ショップにマフラー交換に行っている時の出来事だった。
パールマイカ色のソアラが綺麗な女性を連れて颯爽と現れた。 颯爽と現れたかどうかはわからないが、その時の私にはそう見えた!  

男性の年は30歳前後だったように記憶している。 当時このソアラは日本を代表するスペシャルティーカーとして確固たる地位を築き、ハイテク満載で時代の先端をリードしていた。 値段にして、各種オプションを入れると購入時には500万以上になってしまう車をさらにチューニングで100万以上かける事が出来る人達はいったい何の商売をしているのだろう!?自分には一生かかってもそんな暮らしは出来ないだろうと思ったものだった。

ショップのオヤジはそのソアラの男性客への商品説明でニコニコ笑いながら対応している。 結局、私が当時やりたかったチューニングを全て頼んで行きやがった!
私はおかげ様で予約していたにもかかわらず、1時間以上も待たされる破目になってしまった。 挙句の果てにソアラの客が帰った後に1時間以上の商品説明に疲れたのか、その後の私へのオヤジの態度はひどいものだった!

「お客さん、今日マフラー入れて変えるの?」と聞いて来た!
バカヤロー!その為に予約したのじゃないか! 1時間以上も待たせやがって! って言いたかったが、「はいっ、宜しくお願いします!」と笑いながら素直に私は答えていた。
当時はまだ大人しくショップのオヤジに文句も言えなかったのだ。
今なら絶対許さんが…。




【1985年 セリカ1800GT−TR】

この車は私にとって初体験が2つあった。 一つは初のエアコン搭載車だ! しかもオートエアコンだ! クーラーに比べると温度を設定すれば自動的にその温度に調整してくれる優れものである。

また、もう一つの初体験は生まれて初めてターボ車なる物に乗った。
当時の感想はターボが効き始めると今までには経験したことが無い加速感があり、大げさではあるが飛行機の離陸する時の加速を小さくしたような感じだった!

セリカ1800GT−TRは、3T−GTE搭載・4気筒・1770cc・DOHC8バルブ・ツインプラグターボ・160ps であった。

ある日、坂道の上りで信号待ちをしていたら、BMWが助手席に女の子を乗せて隣に並んだ。何となくBMWがヤル気になっているのが雰囲気で感じられる。
信号の青と同時に加速競争になってしまったが、結果はセリカGT−TRの圧勝だった!
しかし、結構な上り坂で3000回転くらいからクラッチを繋いでターボを効かせながらの猛ダッシュだったので、車が後ろに横転するかと思った位チョッピリ怖かった! 

今で思えば、グロスでの160psなので、現在のファミリーカーでもこの位のパワーは出している車もあると思うが、当時、私は自分のこの車より速い車は存在しないのでは無いかと思っていたくらいだった。




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