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Profile /2003-現在 /1996-2002 / 1990-1994 / 1985-1988 / 1978-1983 |
【1996年 VOLVO 850
R】 私の足車として、また、家族で乗る車としてセドリックを持っていたが、後部座席に子供が乗ると直ぐに車酔いしてしまう。 家族で遠出をする時などは、非常に困ってしまう! 昔、インターテックで空飛ぶレンガと呼ばれて活躍したVOLVOが私の脳裏に焼き付いており、いつの日かVOLVOのオーナーになりたいと思っていた。 早速、妻を連れてディーラーに車を見に行く。 その時に目に止まったのが赤のVOLVO850Rだった。 DOHC・横置き直5気筒20バルブ・インタークーラー付ターボチャージャー・2318cc・240ps・30.6kgm GarageLifeでも紹介しているが、このボルボにもマフラー・VST車高調・OHLINSショック・ビッグスロットル・タワーバー・エアフィルター・アースイング・70用ブレーキ・ブレンボ等、いろいろなチューニングをしてみた。 タワーバー・マフラー・ビッグスロットル・エアフィルター・アースイングについては、効果として体感できたのはエアフィルターの装着だった。 車体の大きさも丁度よく非常に楽に乗れる車だと思う。 |
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【1996年 JAGUAR XJR】 私は綺麗な車が好きだ。 このジャガーを見た時に初めてSLを見た時と同じような感動を覚えた! それまで乗っていたサンダーバードとカリブを売却し、ジャガーXJRを購入する事にした。 このスペッスはSLまでとは行かないが、4ドアセダンとしては十分すぎるほど速く美しい車だった。 札幌に家族旅行に行く時もこのジャガーで東北を回りながら2週間程かけながら旅行を楽しんだものだ。 この旅行時に東北道を走っているときの事、アリストが前方の追越し車線を走っていた。 速度が★00キロに達する手前で妻が異変に気付き目を覚ます! アリストの後から離れず追随する事約10分、ようやく妻が怒り出した! ジャガーXJRはスタイル抜群な高級スポーツセダンである。 |
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だが、このXJRとの別れも何時ものように突然やってくる。 前日も仕事の終わりが遅くなり、この日は雨でGOLFのスコア−も良くなかった。 ジャガーのフロントとリアは潰れ、ホイルは衝撃でハブにナットで止まっている箇所を残して回りはすっ飛んでしまっている。 高速道路上にはジャガーの破片とGOLFクラブが散乱していた。 全損だった! 3車線にわたりクラブやジャガーの破片が散乱していたので公団が来るまで当然通行止めになった! これだけの事故ではあったが、私には怪我は無かった。 翌日の新聞の片隅にでもこの事故の事が出ているかと、ヒヤヒヤしながら新聞を見たが、出ていなかった。 高速を一時的に通行止めにするくらいの事故ではあったが、怪我人がいなかったので新聞には出なかったのか!? 私の性格上立ち直りも早く、直に車両保険で新型ジャガーXJRのV8・375psの購入を考えたが、妻から「少しおとなしくしていたら!」と言う命令とも取れるお言葉を頂いたので、反省の意味も兼ねて、車の購入は暫く控える事にした。 この日から暫く休んでいたSL・T号が再び復活する事になる。 |
【1996年 セドリック・ブロアム2000Turbo】 セドリックの画像 知合いが自宅の裏庭に捨てていた車があった。 塗装はボロボロで所々に錆が浮き出ており、タイヤは4輪中3輪がパンクしている。 内装はまだイケそうである。 バッテリーは完全にアガッテおり、車検は当然切れている。 走行距離はこの年式にしてはそんなに乗ってないなぁ〜と思った記憶があるので、7〜8万キロ位だったと思う。 年式は、何年だったか忘れた。 解体屋に引き取らせるのもお金がかかるしメンドクサイと言う事で、ここに数年間放置したままだったらしい。 最初に新品タイヤを購入して、私有地内を少しばかり走ってみたが、問題なく走る! パッドはまだ残っていたがブレーキの効き具合が悪くOHが必要かもしれない。 このセドリックで湾岸のつばさ橋上を通った時に横風が強く吹いていた。 その後もエアコンやオルタネーター等々、トラブルがあったが直しながら乗っていた。 ある日、千葉県の四街道で用事を済ませた帰り、交差点で信号待ちをしていたら、隣りに私の乗っているセドリックとまったく同じセドリックが止まった。 車高が低く、タイヤがフェンダーからはみ出ている! 窓はフルスモークを貼り白文字で当て字を使い漢字で訳のわからん事を書いている! でも、自分が乗っている車と同車種なのである! スクラップ車を直しながら乗って、全開すれば■70キロまで出るようにしたのだ! 愛着がわかない筈がない! 結局、2年間乗りつづけた。
これは本当の話しだが、感謝の気持ちを込めて磨きながら一緒に過ごした日々を思い出し、「今までご苦労様、ありがとう、次のオーナーにも可愛がってもらえよ!」と話しかける! 私にとって車は、ただの機械ではなく友人と同じなのだ! 毎回だが悲しい夜である! |